血栓症と友人の死

〜腎臓血栓から始まり上腸、下肢静脈の血栓まで〜
(文筆業の自由人、中学高校同級生の死)

 

中学、高校時代の友人M.K君が逝去し、その通夜が11月29日に行われ、約1年間にわたる闘病生活の苦しさを、彼の未亡人から涙ながらに聞かされました。

彼の死の原因は、全身のあらゆる臓器と細胞の血管が詰まる血栓症で、血液循環が不全となり、その臓器や細胞が正常に機能しなくなる怖い病気です。

こんな症状との闘いを1年近く続け、痛い苦しいの連続、どうすることもできぬ業病に、ついに勝つことができず昇天したようです。

棺に納まった彼の遺体と最後の対面をしましたが、肥満でふっくらした見慣れた顔つきが、想像できないやつれ方で「長い闘病生活で、すっかり変わった主人ですが」と説明された未亡人の言葉通り、闘病のつらさを感じさせる死に顔でした。

彼の遺言にのっとり、葬儀は僧侶や神主などの世話にならない無宗教葬。

参列者の顕花と、喪主の未亡人の挨拶、友人代表の彼を懐かしむ思い出話とエピソード、そうして彼の冥福を祈っての参列者一同の献杯。

至極簡単だけれど、分かりやすく短時間で終わる通夜でした。

しかし、もったいぶった、意味の分からない僧侶の読経や、神主の祝詞(のりと)がなく、しめやかだけど心のこもった通夜でした。

彼の誰にも縛られない、自由人として生きた一生を彷彿とさせる通夜と葬儀は、彼にふさわしい面目躍如たるもので、草葉の陰で、シテヤッタリとほくそ笑んでいたことでしょう。

彼の職業は著述業、食べ物や酒のエッセイストとして、週刊誌や夕刊紙などのコラムでは馴染みでした。

また書き下ろした酒や魚(肴)の単行本、旅行好きな彼の面目躍如のヨーロッパなどの国々の居酒屋的食堂の紹介本や、経済からスポーツにまつわる本、または外国で有名になった単行本の翻訳など、かなり広範囲にわたって、うんちくを傾ける博学ぶりの著述者でした。

そんな筆一本で生活した自由人で、また、こよなく夜の街と居酒屋を愛した食通でもあり、さらにヨットの愛好者で、魚釣りの趣味もあり、釣った魚の料理の腕も確かなものでした。

彼に最後に面会したのは、確か昨年(2012年)の夏の終わり、高校の同級生が集まる飲み会でした。

その年の11月、会合があることを彼に知らせますと「体の調子が悪いので、出席できない」との返事、そのまま会合も開かず、久しぶりに今年の9月に連絡したら「入院している」との知らせで、一度見舞いにと思っている矢先に、訃報が届きました。

ところで彼はすでに3年前、血栓症で入院した前歴があり、見舞いに行った私に「なんだかわからないが腎臓機能が悪くなって、アテローム塞栓性(そくせんせい)腎疾患だ」たいして気にも留めず、「もう大丈夫ですぐ退院」と高をくくっていました。

毛細血管の集中している腎臓の細い血管に、脂肪性血栓ができて詰まってしまって、腎不全になったことを軽く考えていたようです。

退院した彼は好きなビールをおいしそうに乾杯し「医者は酒は慎むようにと言っているが」と相変わらずの健啖でした。

そんな彼の生活習慣と態度が、彼の健康に最大の異常をきたした、血栓症候群の原因にもなったのでしょう。

未亡人の話によると、昨年の11月「歩けなくなった」とタクシーで帰宅した彼は、両足に力が入らず起立もできない症状、早速に緊急病院に入院、その時の診断では「脊椎間狭窄症」との診断でした。

ところが入院中急激な腹痛に襲われ、その原因が「上腸間膜脈血栓」によるものということで、このまま放置しますと、腸管が壊死(ネクローシス)し、やがて腹膜炎をおこし機能低下になるということで、開腹手術をして一部腸をを削除し血栓を取り除いたようです。

腹部の痛さはそれで一時的に消えましたが、今年早々足が痛いと言い出し、足の静脈に血栓ができ、足がむくみまた紫色に腫れてきていました。

病名は「深部静脈血栓症」です。

医者はこのままでは足が腐ってしまう、最悪の場合壊疽になり足を切断しなくてはならぬ、と言われ本人も未亡人も驚きました。

静脈にたまった血栓を取り除くカテーテルによる除去手術をしましたが、腸管の血栓と言い、下肢静脈血栓と言い、なぜ血栓ができたのか?それは入院して体を動かさず、運動もしないままでいたため、血液の循環が悪くなったのが第一番の原因のようでした。

よく一般的に言われる「エコノミー症候群」というのと同じで、じっと体を固定し運動しませんと、血液の循環が悪くなり、血の塊ができて下肢の静脈を詰まらせる症状です。

かれも病室のベットで、運動のできない状態で長期間、寝ていたため起きた副作用的血管障害で、病床で起きたエコノミー症候群でしょう。

そもそも血液は、循環が悪くなり流れがゆっくりになったり、血管の壁に何か変化が起きたり、さらに塊りやすい性質がになりますと、血栓ができやすくなるようです。

彼は血液がどろどろの粥状態になる、アテローム症候群を過去に起こしたよう、血栓ができやすい何かがあるとの兆候は、3年前の腎動脈のアテローム血栓にすでに表れていました。

血栓はできやすい体質があるようで、彼の血液はそんな性質の仲間でしょうが、さらに高齢、肥満、高コレステロール、高中性脂肪、多い飲酒量なども、彼の生理的条件を作り、それらが複合して危険因子となり、血栓ができやすくなっていたと考えられます。

血栓症と言いますと、心臓の冠動脈が詰まる心筋梗塞や、脳血管に血栓ができる脳梗塞が一番多く、よく耳にする病気ですが、下肢や腎臓、腸血管にも起こることを知らされました。

また普段元気に活躍している人が、何かの原因で寝たきりの入院生活を送ると、生活環境が変わり、食事も変わり、精神的にも弱くなり、まして運動不足も加わり、本来の病気以外に余病が併発することをよく聞きます。

彼の場合、最も肉体的、生理的な弱い細胞が血液と血液循環で、それに問題を起こし、血栓症症候群になったと思われます。

ところで深部静脈血栓症の合併症は、静脈の中の血栓(血の塊)が血管の中に飛んで出て、各所の臓器や器官の血管に血栓を起こすようです。

彼も同じよう、上腸間膜の脈の血栓から、下肢深部静脈血栓に続き、以前問題を起こした腎臓毛細血管に再度血栓ができて、腎臓の働きが低下、尿量の低下、むくみ、尿中へのタンパク質の排出など、最後は尿毒症にもなリかねない様態にもなったようです。

そうして血栓は、肺臓の血管にも肺塞栓症をお越し、呼吸困難にもなり、同時に軽い肺炎症状の併発もあったようです。

当然、上腸間膜の血栓時から投与している、血栓溶解剤のウロキナーゼは勿論、ヘパリンそうして血液サラサラになるワッファリンなどの薬品は使用していましたので、それ以上特効的な薬品がありません。

たださらなる血栓が出来ないことを願うだけで、退院などできる状態でなかったようです。

それから息を引き取るまでの数か月、腸管の血栓症から来た消化不良症候群による食欲不振と、下痢に悩まされ、さらに足の痛みとしびれも彼を苦しめ、腎機能低下の処置も併用し、肺への血栓症で呼吸困難にも陥り、未亡人に言わせますと、なぜこんなに苦しめられなければいけないのか、世の中を恨んだようです。

もっとも、原因は彼の生活習慣に起因したとしても、病床で病と闘う亭主にいまさら生活態度をなじっても、問いただしても始まりません。

とにかく夫婦二人だけで、一心同体となって協力して病魔と闘うそんな気持ちが「私たち二人だけが、荒れ狂う太平洋に投げ出され、ゆられゆられ、どこにも救いの手がない、絶望感に包まれてました」

嗚咽をこらえながら、通夜での挨拶の最後に、病状の苦しさと看護の苦労の一端を述べていました。

そこに限りない夫婦愛を見ることができます。

彼も病魔には苦しめられましたが、夫人の献身的看護には満足し、心から感謝していたでしょう。

最後は何を食べても下痢をするだけ、そうしてやがては食事もとらず、水と栄養剤の日々が続きました。

今年の8月医者はもう限界ですと診断を下したが、それでも体力があったのでしょう、三か月以上昏睡状態になったり、時々意識が戻ったりを繰り返しながら病魔と闘いました。

そうして最後、多臓器不全となり、愛する奥さんに看取られながら、11月26日昇天しました。

安らかにお眠りください、冥福を祈ります。