認知症

〜アルツハイマー病初期の友人の話〜
(加齢と生活習慣病で増える認知症)

高校時代の友人O君から突然電話があり、どうしても合いたいので、彼の住む神奈川県三浦半島の逗子まで来て欲しい、との連絡があったのは、先月11月のはじめでした。

早速、もう一人の友人S君をさそい、翌日JRの逗子駅改札の前で5時に面会する約束を、再度電話で確認し出かけました。

ところが駅前にO君がいません。

さらに30分待っても現れません。

しかたなし彼の自宅に電話しますと、彼の奥さんはそんな状態になるとの予感があったのか

「矢張りそうですか、奥村さんに合うんだと、朝から落ち着かず、まだ早いというのに4時過ぎに出かけました。逗子駅まで30分の距離ですから、もうとっくについているはずなので、私のほうでも探します」との答えです。

彼が少し耄碌(もうろく)してきたなと感じたのは、今年の春、数人の同級生の会合で、10年前まで続けていた旅行会の思い出話に花が咲いたとき、ある名所訪問に「俺は参加してない」と強情に言い出した時でした。

「そんなことないよ、記念写真に君も一緒にいるのだから」と納得させますと、

「ぜんぜん覚えていない」との答えでした。

そのとき帰りの電車の中で、同じ質問を2度3度繰り返したので、これは老人性の痴呆(ちほう)の始まりだな、誰でも年をとるとこんな状態になる、個人差はあるけど、と感じました。

いま日本では、痴呆と言う言葉は差別語であり、使用が禁止され「認知症」と言う言葉に変わっています。

その認知症とは、自分のいる場所、時間、目的などが認知できない症状で、こんな典型的な症状が、O君から感じられ、もしかしたらいつも通っていた逗子駅への道も、間違えてとんでもないところへ行ってしまったのか?
そんな予感がしたほどでした。

「あのOですが」駅頭にたたずむ私の背中で、おずおずと問いただすように名乗る声に振り向くと、そこに彼が呆然と立っていました。

約束から約45分ほど送れた5時45分過ぎです。

「おいどうした奥村だよ、わかるか」「分かるよ、だいぶ探したんだ」というので「5時からここでずーっと君を待っていたんだ、何処に居たんだ」と詰問すると

「いや1度ここへ来たがいないので、ほかを捜しに行った」どうも5時の約束なのに、4時30分ごろ駅まで来たが、私たちが見えないので、移動したようです。

「何処へ捜しに?」「街の中へ、心配だったので親戚に聞きに行った」
これでは話になりません。

私は早速に、自宅で心配しているだろう彼の奥さんに電話し「今面会しました、大丈夫です、親戚に行ってたといいます」「街中に親戚などいません、ご心配かけて申し訳ない」との返事が返ってきました。

同行していたS君と3人で、居酒屋のようなところに落ち着いたとき、彼の携帯電話が鳴り、あわてて取り出したが、スイッチオンにすることが出来ず、私が携帯を取り再度奥さんと会話をする羽目になりました。

「大丈夫ご心配ないよう、終わったらお宅まで送りますから」と、その後奥さんと彼は会話を交わし、奥さんからこまごまと注意をされていたようで「わかったよ、わかったよ」と彼は何度も電話で頷いていました。

それから久しぶりの面会を彼は喜んで、話は弾みますが驚いたことには、同行したS君を誰だかわからないと言い出したときです。

彼は現役時代ある有名証券会社の部長職を務め、その頃同業他社のS君とは絶えず酒を酌み交わし、また同じ旅行会でも絶えず行動をともにした友人なのに「覚えがない」と首をかしげるのには、私もあきれS君と顔を見合わせ嘆息しました。

せっかく逗子まで足を伸ばし、O君に合うことを楽しみにしたS君にとっては、存在と人格を否定されたような、切ない気持ちにもなったかもしれません。

この認知症は本物だ、それもかなり進行していると判断せざるを得ませんでした。

昔の友達の話になり、記憶にある友人とない友人とが錯綜するのか、少しちぐはぐになりながらも、私との会話は通常でした。

彼の自宅まで送ったとき、門の外まで出迎えた奥さんに「病気ですか?」と率直に聞きますと「はいアルツハイマーの初期と診断されています」との答えでした。

このアルツハイマー病は、ドイツの医者が発見した病気で、その発見者の名前がそのまま病名になっている、大脳の萎縮性疾患で、その原因がいろいろと論議されていますが、さまざまな要因があるようです。

いずれにしても脳細胞が萎縮し破壊されていくので、知能低下はもとより、記憶もなくなり、自分が存在する位置の見当違いも多くなります。

O君はその典型的な症状を表したことになります。

さらに進むと、人格が変わり、幻覚や妄想に悩まされ、抑うつ症となり、睡眠障害が出たり、物事に無関心になり、やがて異常な食欲や、近所を徘徊するようになり、言葉を失い話が出来なくなるなど、深刻なものになるようです。

もっともアルツハイマーのような脳が萎縮する病気だけでなく、脳血管障害による認知症はじめ、パーキンソン病、狂牛病で知られたクロイツフェルトヤコブ病などの脳障害による認知症もあります。

それでなくとも、歳をとりますと物忘れがひどくなり、忘れないように手帳に記したのに、その手帳に書き留めたことを忘れたなどの、認知症そっくりな失敗もします。

私もこのような失敗は日常のことで、友達や取引先のお客の名前を失念したり、テレビを見ながらその登場する有名俳優の名前が思い出せなかったり、瞬間ある目的で行動したのに、その目的がなんであったか忘れたり、投函する手紙をポケットに入れ2、3日もって歩いてたり、恥ずかしいことばかりです。

こんな症状は認知症とは言わないそうで、たんなる物忘れ症で、誰にでもあるようですが、その頻度が多くなることと、至極簡単なことを思い出せないなど、歳をとると多くなります。

ただし一昨日の夕食の内容は忘れてもよいが、夕食を食べたことを忘れたら、これは認知症の始まりだとも言われますが、私はまだそれほどではないので医者の厄介にはなりません。

ところがO君のような誰が見ても異常を感じられるのは、これは病気です。

本人は病気の症状の認知がないので、普通の生活をしているつもりですが、周囲にいる家族や知り合いは大変苦労します。

時としてはそれは、幼児のようにあどけなかったり、苦笑するような奇行に見えたり、想像がつかないもの言いや、態度となります。

私どもの会社の女子社員Sさんの実母がこの認知症となり、その介護の苦労話の中に、笑うに笑えない出来事を聞かさせました。

「ただいま」と仕事から帰った彼女を、出迎えに出た母親から「どちら様ですか、今娘が不在で」と告げられた時はいささかショックで、その後も彼女を次男息子の嫁として接してたが、彼女には男兄弟は一人もいず、まして一人娘でした。

そんな時彼女は「はいはい」と、次男の嫁として振舞ったと聞きました。

これは良く出来た話で、彼女の知恵と人格が、母親の症状を理解し、不機嫌な気持ちにさせなかったことは、この病人の看護には大切なようです。

いたずらに馬鹿にしたり、無視したり、叱ったりすることはかえって病状を悪化させるといいます。

しかし、この病気の治療法はなく、ましてアルツハイマーの脳萎縮症候群は、時間的経過の中でどんどん脳細胞が減少する、進行性のようです。

普通1400gぐらいある脳細胞の重量が、10年ぐらいの間に800〜900gぐらいになると聞きます。

そうなると、生命そのものに影響が出るようで、結果長生きはできません。

そこで病気が発症しないよう、また進行を促進させる要因を避ける生活態度が、この病気の対処療法のようです。

だが発症する要因のいくつかに、個人の努力では避けられない要素もあります。

まず、年齢から来る老化、遺伝的な要素、家族と先祖の病歴などは、後天性でないので、仕方ないかもしれませんが、こんな危険因子を予測して、生活習慣の中で対応すれば、発症を回避し、また不幸発症しても、進行を遅らせることが可能かもしれません。

その第一は生活習慣病を防ぐことです。

血管の動脈硬化にならないように、高血圧、糖尿病、高脂血症に気をつけ、活性酸素の発生を除去することです。

それには、バランスのよい食事と、深酒と喫煙を止めることでしょう。

糖尿患者と喫煙者のアルツハイマー病発症は、1.3倍から1.8倍多いといわれています。

バランスのよい食事ですが、青魚(DHA、EPA)の脂肪酸、野菜(ビタミンC、E、A)や、ポリフェノールが多い食品など、この病気発症を抑制するようです。

また有酸素運動と、頭を使うゲームやる、雑誌新聞などよく読む、テレビを見て思考する、文章を書く、楽器を演奏するなど、さらにダンスやカラオケなど気分のリラックスとリズム感も、この病気の減少につながります。

さてさて、人間歳をとってくると、それでなくともいろいろな問題が生じます。

老人は生きていくことの代償に、体力の衰えとともに知力も衰え、社会の中であまり目立たなくなるように作られているのかもしれません。

60歳を還暦といって、生まれた頃の幼児に帰るので、赤いちゃんちゃんこを着せられますが、栄養と医療がよくなった今日、幼児に帰る年齢が遅れているようですが、あまり幼児にならないなら、認知症という病気を起こして、幼児に帰しているのでしょうか。

統計的に見ますと、65歳以上で3%から8%ぐらいの真性の認知症とその予備軍がいるようですし、80歳以上ですと8から10%、85歳以上になりますと急激に増加3〜4人に1人といわれます。

O君も81歳、年齢から来る認知症もやむを得ないかもしれませんが、同級生の私もやがて同じ症状になるかもしれない年齢です。

ただそうならないためにも、このようなメールマガジンを出して頭脳を使っていますし、仕事で出歩き、海外出張もよくします。

それは、もう少しやりたいことと、遣り残したことがあるような気がするからです。

先日11月30日、自動車免許の更新試験を受けました。

75歳以上のドライバーは、必ず認知症診断テストを受けなくていけない制度が、数年前から実施され、私は今回2回目です。高齢者の認知症による事故が加齢とともに増えている事実を聞かされ、出来たら高齢者は運転をしなことを示唆する、テストのような気もします。

さてさてこのテストを、あと何回受けことができるか、ちなみに試験は3年おきです。

ところで、テストは無事合格しましたので、認知症でなかったことの一応の証明のようです。