老衰で死亡

〜老衰で死んだ81歳の小学校同級生〜
(老化と生命終焉のメカニズム)

今年の1月21日に小学生時代の同級生A君が亡くなりました。

私はその報を聞いたのは当日の夜、その翌日から台湾への出張があって、通夜も告別式も参列できませんでした。

その後あらためて彼の死因について、遺族から話を聞きますと「老衰」ということでした。

81歳の同級生の死因が「老衰」と聞いて驚きました。

今まで同級生初め同じ年の、友人知人の死亡の知らせはたくさん聞いていますが「老衰」は初めてで、私も老衰になる年齢になったのかと慄然としたほどです。

老衰とは、生体機能が老化して、全ての器官が不全となり、細胞がアポトーシス(自然死)し、生命体としての恒常性が失われる状態になることと漠然と知っていますが、それが私と同じ年齢で起きるかと疑問を持ったほどです。

たまたま今回なくなったA君が具合が悪く入院したと聞いて、私は死の10日前に病院に見舞っています。

しかしその時はすでに彼は人事不省、昏睡状態で名前を呼びかけても反応がなく、同道した級友と「これでは1週間持たないな」と話し合ったほどでした。

あいにく病床には家族の付き添いがいなかったので、ナースセンターで病状を聞きましたが「家族以外には教えられない」とのことで、なぜ昏睡しているのか事情が分かりませんでした。

だがこの昏睡が、彼の生命の最後の休息で、全ての細胞や臓器が役目を果たし、終息に向かっている段階に私は見舞いに行ったわけです。

そもそも「老衰」と言う病名は最近は珍しくなりました。

なぜかといえば医学が発達し、今まで分からなかった、あるいは症状がはっきり確認できなかった老人の病気も、的確に診断できるようになり、老衰としていた死亡原因が、肺炎だったり血管障害であったり、あるいは数多い病気の何かの病名がつけられるようになったので「老衰」死因が少なくなったと聞いています。

また死因が老衰とは科学的でない、人間何かしら死に至った原因があるはずだ、それが発見できなかったのは、医者の怠慢だ、との意見もあるくらいです。

しかし気力や意識まで老化し病床に横たわると、生理的にもさらに老化が進み、慢性的な複数の疾患を抱え、治療の方法もないまま、それやこれやの原因で、全ての機能が喪失し、老化現象が抜き差しならなくなり、それが老衰と言う死亡原因になっていることもあるのでしょう。

それを裏付ける老衰と言う死因は厳然とあります。

日本の2012年の統計で見ますと100歳以上の人の死因の1位は確か老衰でした。

ちなみに95歳から100歳までの年齢では第2位が老衰で、1位は心臓疾患です。

老衰で死んだA君の年代80歳から85歳までの、老衰死因は6番目で、パーセンテージでは3.4%です。ですから80歳前でも老衰死はあるということです。

さて、人間は生まれた瞬間から、死に向かって歩みはじめています。

人間だけでなく、全ての動物や植物は、生れ落ちたり芽生えたあと、その生命体の寿命は決まっているようです。

その年月が何年間か何日間か誰もわかりませんが、生命をつかさどる遺伝子DNAは初めからわかっているのかもしれません。

私は畜産や農業に携わる仕事をしていますので、動物の成長、植物生育のメカニズムに興味があり、ことに動物の生命の平均は何年ぐらいかも分かります。

人間は哺乳類の中では最も長生きの動物で、病気や不慮の事故がない限り、長寿者は120歳ぐらいまで生きられる遺伝子を持っていますが、豚は30年、牛で40年、馬で45年、長い寿命といわれる象でも75年ぐらいで寿命が尽き老衰で死にます。

哺乳類の中で最も長寿の遺伝子をもっている人間の寿命が、長寿と言われる日本人の平均でも83歳そこそこ、まして世界平均では67歳ぐらいと言うのは、天から授かった120年ある寿命を、何らかの原因で、終息を早めていることになります。

そもそも人間の生き様の中には、長寿の遺伝子の能力を、人工的に短くしている行動がたくさんあります。

戦争や災害、不慮の事故や自殺などを別物にしても、寿命を短くしているのは人間の生活習慣とそれを取り巻く社会環境、さらに人間だけだ持つ繊細な神経や頭脳、性格などが生命を縮めています。

食生活の過剰栄養、あるいはその逆の飢餓、非自然の化学物質含有食品の長期間摂取、生活環境の空気、土壌、海洋、水の汚染、社会生活でのストレス、神経障害、交通機関の発達での運動不足など、科学や文化の発達で招いた人工的有害状況が、命の短縮を勧めています。

皮肉なことに、そんな状況を科学的に改善したり、医学の進歩で治療したり、人間の生命研究の進化で医学的に解決する技術が日進月歩に進み、不健康になる条件と戦っています。

こんなマイナスな生活環境と、それに対応する自然科学の発達のプラス技術の狭間の中で、現代の人間の寿命は決定付けられます。

それでは、人間はなぜ老化し、そして死を迎えるか考えましょう。

学問的意見としては、生まれたときから死が約束されている「遺伝子プログラム説」が有名です。

これはどんなに頑張っても変えることのできない宿命で、個人個人がそれぞれ違うプログラムを持っています。

それは長寿の家系か短命な家系か、癌が発生しやすい遺伝子があるか、糖尿病になりやすい遺伝子、また高血圧な家系など、DNA遺伝子の影響が差配するところの、絶対的なプログラムがあるようです。

ただし長寿遺伝子も、その遺伝子を殺す生活をすれば、違った答えが出ますし、マイナス的な遺伝子であっても、そのマイナスを起こさない生活習慣を実行すれば、プラスに変えられます。

「プログラム説」でよく言われる老化は、細胞の分裂は50回の分裂と決められていて、それが分裂できなくなり死ぬ、あるいはテロメラ(染色体末端粒)という物質が、年齢とともに削り取られ、それがなくなると死を迎えれる、さらに「老化遺伝子」がそもそもあって、タンパク質を活用できなくなり、細胞が増殖できず壊死していくなどです。

もう一つの説は、そもそも遺伝子プログラムは存在せず、生ているあいだに個人が起こす様々な肉体に与えるダメージよって寿命は決まってくるという「非プログラム説」です。

その中で寿命に最大の影響を与え、非プログラム説かプログラム説か分かれる原因に「活性酸素」による細胞の死があります。

酸素が大切な元素のことは良くご承知ですが、この酸素はとても乱暴者で、フリーラジカル(毒酸素)となり、細胞を破壊し癌を作り、細胞膜の形成に必要な不飽和脂肪酸を酸化させ、過酸化脂質として動脈硬化を起こし、膵臓を酸化させ糖尿病、さらに認知症の原因にもなるようです。

加齢により、活性酸素を体内で消去するSOD酵素の生産が低下することで、さらに細胞が傷つき老化がすすみ、やがてその原因が死を招くとも言われます。

逆に言いますと、この活性酸素を退治するSODが活性化している人は長寿となります。

また長いこと生きていますと、さまざまな「老廃物」が細胞に溜り老化が始まり、それが細胞の壊死へと進みます。

その代表的物質にリポフスチンがあります。

細胞の錆びのようなもので、シミ、シワの原因ですが、細胞の活性が衰退する原因ともなります。

「DNAエラー説」もあります、DNA寿命説は厳然としてありますが、約束に沿って分裂を繰り返し細胞を複製ているうちに、間違って分裂のリズムを狂わせ、細胞複製がうまくいかず寿命を縮めてしまう作用です。

放射能などによる細胞の変化などもこの中に入るでしょう。

その他「ストレス」があります。

ことに人間は考える動物で、視聴覚などから入る感覚に鋭く反応するだけでなく、精神と頭脳が過剰に反応し、交感神経に緊張をもたらし、臓器、細胞、血行などにダメージを与え、それが生命遺伝子にとって負の条件となるようです。

ストレスはまた活性酸素産生の引き金にもなります。

困ったことには、これら全てが老化になるプログラムの定説で、細胞のアポトーシスと老衰死になる原因の解説です。

どのようなことをすれば、遺伝子DNAの老化を止めるかの、長寿プログラムを作る方法論ではありません。

ただ、老化を促進する条件と逆なこと、あるいは促進しないような生活をすれば、おのずから長寿は約束されそうです。

糖尿病になりやすい家系でしたら、食生活の対策と適正な運動を心がけるだけで、おそらく発症はないでしょうし、活性酸素を防御するには、抗酸化力の強い食材を食べ、煙草を止めれば長生きできます。

そんな日常の、ささやかな生活習慣のなかに、長寿になる遺伝子を作り上げていくノウハウがあることも知りましょう。

科学的に長生きを考えるなら、最近話題になったiPs細胞などの普及と無限の活用が、人間の寿命を延ばす発端となるとしたら、生命の面白しさが倍化すると思うのは私一人ではないでしょう。

さて誰もが病気で苦しんで死ぬより、生命体が自然と活動を停止し、静かに細胞が活性を失う、老衰の自然死を望みます。

その年齢が100歳を越え、可能寿命の120歳に近い年齢で、眠るがごとく亡くなることが世に言う「大往生」。

これは間違いなく立派な「老衰」で、そんな状態でこの世とのお別れをしたいものです。