2011年2月アーカイブ

   〜養鶏家は夜も眠られず、病気発生の恐怖〜
  (このままでは、市場から卵と鶏肉は消える)

1)大発生を予測できる、発病周辺国からの渡り鳥

私どもが関係している畜産業界には、いくつかの業界紙があります。

乳牛と肉牛の業界紙、養豚、養鶏の業界紙と多士済済です。

その中の一紙に養鶏の「鶏鳴新聞」があります。

一般紙並みの紙面に、行政の動き、業界ニュース、海外情報、飼育管理情報、病気防疫情報など多彩な紙面構成で、月3回発行され業界人の信頼を集めています。

この新聞が毎年の新年号で、業界のオピニオンリーダーに、新しい年の業界の動向に対する、予測と建設的意見を求める紙面が、特集として編集されます。

不肖私も、毎年それなりの考えを述べさせていただき、養鶏業界が発展前進することを願う一人として、執筆しております。

2011年の私の記事のタイトルは「恐ろしい鳥インフルエンザ感染の年」として、今年は渡り鳥によるウイルスの攻撃が必然で、野鳥や野鼠、甲虫類(ゴキブリなど)と、資材搬送運搬車、人間の鶏舎出入りを徹底的に管理し、ウイルスの侵入を防ぐ対策が必要と述べました。

さらに防疫の根本的対策となる、ワクチンによる予防の是非の議論も、当然起こるだろうと考えました。

その原稿を書いたのは昨年の12月の初旬、まだ鳥インフルエンザの発生が各地で騒がれる前でした。

しかしその時点で、今年は野鳥を含め感染鶏があちこちで発生し、大変なことになるだろう、また野鳥や渡り鳥の感染による斃死体が各地で発見するだろうと予見していたのです。

もしそうなったなら、養鶏産業はリスクの多い産業となり、多くの養鶏家は将来への不安で、業務を継続するか否かで悩むだろうと心配しましたが、正にその通りになっています。

いや今年だけでなく毎年、この鳥インフルエンザとそれに伴う多大な被害は、続き続けるだろうと悲観的な心配をせざるを得ない、日本の現状を嘆く一人でもあります。

この予測が当たったことは、決して自慢することではなく、大変不幸なことです。

私が病気発生を予測できた根拠は、アジア圏に多くいる業界関係の、知人友人からもたらされる情報と、実際各地に訪問し表面に出されていない、発表されていない、病気の発生の実情などつぶさに知ることが出来る立場にいることが、大きく寄与しています。

海外の友人の中には、過去に鳥インフルエンザで大打撃を受け、どうすればこの病気と対処できるかの対策に精通している人間もいます。

日本では、何が何でも殺してしまえと、病気発生の農場は犯罪者のように、行政も業界も冷淡だし、ましてジャーナリズムも無責任に書き立てるだけで、生理的にも物理的にも、防御できない発生農場の立場への惻隠の情がありません。

野鳥を防ぐ防鳥網に穴があったとか、3日前に発生農場と行き来があったとか、犯罪捜査の証拠固めのような報道ばかりが目立ち、どうしたら防ぎ、どのようにしたら発生しないかの考えや、諸外国の実情を研究する様子もありません。

私の外国の友人達は、防疫は自分達で考えるとして「ワクチンに勝る防御手段は無い」と積極的にワクチンを接種して、免疫抗体を付加することで対策としています。

その分コストもかかりますが、発生して斃死鶏を山のように出したり、発生していない鶏まで殺すより、経済的ですし動物愛護にもなり、経営が安定安心ですので、国の許認可方針にもよりますが、ワクチン接種で鳥インフルエンザに対応しています。


2)日本の感染対策は江戸時代の破壊消防と同じ


さて日本では、このワクチンの使用については政府は慎重です。

あくまで罹病した鶏を速やかに殺し、感染が予測される同じ農場の健康鶏も危険鶏として殺処分することにより、局地的防御を成功させ、拡大することを防ぎます。

さらに、発生場所から半径10キロ以内の養鶏場への取締りを厳しくし、そこへの感染はもとより、感染している可能性も危惧し、その範囲内の生産物は、全て移動禁止になります。

すなわち発病していない健康な鶏を飼育している養鶏場でも、この半径の中に存在しているだけで、生産した卵や肉は全て出荷できないことになります。

ご承知によう日本は狭い国、まして養鶏生産農場の多い宮崎県、鹿児島県などは、半径10キロ範囲にはかなりの農場が密集しています。

それゆえ、この移動禁止令により、多大の損害を受ける間接的被害者の存在も忘れるわけにはいきません。

その人たちから見れば、発生農場が移動禁止損害の元凶で、火事の火元のように恨みます。

火事の火元となると、発生農場の責任は重く、社会的にも同業者間にも申し開きの出来ない、まるで加害犯罪者のような心境になります。

まして新聞やテレビが、発生原因は農場の防疫対策の不備によるもの、などと無責任に報道されますと、いたたまれません。

数年前このような状態が続いた養鶏場主が、ついに自殺をした痛ましい事件までおきました。

しかし現在、集中的に発生した宮崎県以外の各地で、次々新しい感染のニュースが後を絶ちません。

その感染ルートが渡り鳥や野鳥によるものとしたら、防ぎようがありません、もしこの状態で日本国中に蔓延した場合、日本中の鶏は全て政府によって殺さるか、移動禁止による出荷停止で、日本産の卵と鶏肉は市場から消えます。

そんな極論が想定されるほど、日本国中に生息する野鳥や渡り鳥、また鳥類以外の保菌野外動物が多く存在し危険です。

これらの生き物がいついかなる機会に、養鶏場にウイルスを侵入させないとは言い切れません。

さてどうするのでしょうか?

とにかく日本の行政府は、家畜伝染病を発生させない方法として
1)「感染経路の対策」
2)「感染した動物の対策」
3)「感染しない感受性を家畜に持たせる」
の三つの対策で防御する方針になっています。

2番目の「感染した動物対策」の方法が、感染した家畜の殺処分と、同一範囲にいる未感染動物の淘汰、周辺危険地帯と想定される範囲内の、畜産物および生産物のの移動禁止です。

すなわち火事を起こした現場近くの建物は、燃えていなくても壊して火が燃え移るのを防ごうとする、江戸時代の破壊消防とまったく同じ手法を取っているのが、現在の家畜伝染病予防手段です。

昔の火消し人足や鳶職は、勇ましく鳶口を担いで、火事現場に跳んで駆けつけ、周囲の建造物を鳶口やカケヤ(大槌)で壊しましたが、畜産の場合は獣医師が、注射器や炭酸ガスを担いで現場に急行、豚や牛の場合は注射で薬殺、鶏の場合は炭酸ガスで窒息死させ、病気蔓延を防ぎます。

斃死体は穴を掘って埋設、農場周辺はまるで雪が降ったように、あたり真っ白に石灰を撒いて終了します。

まったく科学もハイテクも使われず、生命体の命を奪うことと石灰で、感染媒体をなくせば感染が防げると言う、原始的手法が行われています。

防疫手段のマニアルには1番目に「感染経路対策」がありますが、鳥インフルエンザも先の口蹄疫も感染経路の特定は出来ません。

まして鳥類のウイルスは野鳥、渡り鳥全てを対象とし、場合によっては季節風など空気感染の可能性もあり、物理的にも化学的にも感染経路を遮断することは不可能です。

3番目にある「感受性を持たせる方策」は免疫抗体のことです。

免疫抗体の最も効果的な扶助はワクチンです。

しかしわが国は、口蹄疫と鳥インフルエンザのワクチン使用は許しません。

昨年宮崎で打たれた口蹄疫ワクチンは、感染を防ぎウイルスの拡散を抑え、その豚と牛を殺す前提で接種されました。

一般の人が聞いたら分かりにくい話ですが、生かすためのワクチンでなく、殺す目的の動物に打ったワクチンでした。

鳥インフルエンザワクチンも現在、政府には備蓄されています。

非常事態が確認されたとき、緊急用として発生地域に接種する用意はあります。

しかし、今年の鳥インフルエンザ発生は、私が予測したとおり全国的なものです。

局地的対策としては可能な非常用ワクチンも、発生場所が多岐にわたりますと、おそらくお手上げでしょう。


3)免疫力と抗酸化力向上で発病を防ぐ

そこで考えられるのは、ワクチン以外で免疫力を強くする方法です。

免疫力は抗酸化力の高さと比例しますので、同時に双方を高くする飼料や飲み水を与えれば、可能となります。

これは韓国の実験ですが、以前、口蹄疫発生の被害が続発している地域で、弊社が開発したペプチド大豆タンパク質生菌剤飼料とフミン物質を混合した飼料を与えているところが、奇跡的に発生を免れている記事を書きました。

この商品そのものは動物の腸管を健全にしIgA(免疫ガンマグロブリンA)抗体を高くする要素があり、また細胞免疫力と抗酸化力を強くする顕著な働きがあることは確かです。

それがため、口蹄疫の発生の悲劇を起こさず、奇跡を生んだ可能性がゼロだとは言い切れません。

さらに最近もたらされたニュースは、口蹄疫発生のある行政区の担当獣医の要請で、病気発生の牛を何とかして殺さずに健康を回復させたいとの願いから、フミン物質から特殊抽出したフルボ酸液を希釈し、飲み水と牛の体への消毒、さらに農場全体へのスプレーを実行しました。

その結果、感染牛20頭中、4頭の重度感染牛を除き、他は完治した報告がありました。

さらに私を驚かせたのは、感染がかなり進んだ牛に、精製したフルボ酸液を注射したところ、翌日から元気を回復し、5日目には病気を完全に耐過したとのことです。

これはあくまで韓国の話であって、日本で実行する話ではありません。

その国その国の事情による出来事で、ワクチン接種許可も、病気感染動物の治療も、未感染動物の殺処分も、その国の方針と考えにより違いますので念のため。

この韓国の出来事は奇跡ですが、そもそもフルボ酸は電解質物質で、物体のイオンバランスを正常にする力が強く、マイナス電子(アニオン)とプラス電子(カチオン)の働きが、何らかの条件でウイルスの増殖に影響を与え、また強い抗酸化力物質ですので、細胞のフリーラジカルを抑制していると想像します。

私たちはこの物質の効果のほどは、日本で農作物へ使用し、農薬を使わず生産物の倍量収穫が可能な実際を見ていますので、動物への使用で奇跡的な効果を挙げることも、ある意味では納得できます。

ただし現在、ウイルス性の疾患に対しての効果を検証していませんが、農業の現場では、農家独自の判断で、真菌性の疾患からウイルス病の予防まで、幅広く使用されていることは確かです。

私は農業畜産関係の仕事のみならず、人間の健康にも強い関心を払い、それなりの知識の習得に努力している日常ですが、その結論として病気に強い体質は、この免疫力と抗酸化力が決定すると思っています。

その免疫力、抗酸化力は運動と生活習慣と食べ物にあり、またこの三つに注意をはらう生活をしている人は、老若男女にかかわらず、おおむね長命で元気で、頭の働きも健全です。

畜産動物も同じことで、免疫力を高くすると、病気に罹らず生産性が向上する事例を、沢山見ています。

また免疫、抗酸化の強い食品やサプリメントは、天然自然の中に存在し、特別薬品的なものでなくとも、免疫力抗酸化力は付加できると思います。

その証拠に私たちの原料は天然の資源で、生菌飼料も大豆が原料ですし、それを特殊な菌と酵素で発酵させたものです。

それはバイオの力で、これをノウハウとでも言うのでしょう。

フルボ酸も何千万年も地下に埋もれ、天然の化学変化により、機能性が出来た、植物由来の物質です。

そこで将来、鶏や豚、牛、あるいは養魚も、病気を抑えて事業を成功させるには、ワクチン接種による抗体免疫があっても、病気対策と生産性向上には、免疫力と抗酸化力を高くする物質の開発と探索が、重要課題となるでしょう。

さて2月17日の報道を見ますと、政府は鳥インフルエンザや口蹄疫など法定伝染病の発病農場が、早期に届出しない場合、罰則規定を設ける法案を準備するようですが、畜産農家にとって病気の感染があっても、それが鳥インフルエンザか口蹄疫かの診断はすぐには難しいのではないかと思います。

なぜならば、確定できる症状になるまで日にちが掛かる、また似たような症状の病気が多くある、などの事情を考慮しなくてはならないのではないのでしょうか。

早期届出の定義がどうなのか分かりませんが、いたずらに罰則規定だけを厳しくすることが、本病発生を防ぐ手段になるのか否か、私にはコメントできません。

昔のリサイクルの思い出

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〜「モッタイナイよ、まだ使えるよ」〜
(自然に身についていたリサイクル文化)

私の育ったふるさとは、横浜市に昭和14年に編入されましたが、それまでは鎌倉郡中川村という純粋な農村地帯でした。

その頃の農村は、自給自足が当たり前で、農機具から生活用品、衣類から履物までとても大事にあつかい、何回も何回も手入れをしたり、修繕して使用する、「モッタイナイまだ使える」が日常会話の時代でした。

私は昭和12年の日中戦争(支那事変)始まりに小学校に入学、昭和16年12月8日に太平洋戦争(大東亜戦争)に突入したときは、国民学校(小学校)4年生で、小国民と呼ばれやがては軍人になる予備軍みたいなものでした。

全ての戦争が終わったのが中学2年生で、この間約8年が第二次世界大戦でした。

丁度戦争真っ盛りの時代、小学生から中学初期までの生活を送り、今考えると特殊な体験をしたことになります。

小国民とか軍国少年とか呼ばれ、とにかく国のために尽くしなさいと、働き手のお父さんが出征軍人でいない農家の手伝いにも行かされました。

それと直接的な尽忠報国は、軍需品の材料にするくず鉄を拾い集めろとか、古い紙くずを探して来い、などと勤労奉仕を先生から強要されたことです。

今で言う物資のリサイクルに、借り出されていたのです。

それと言うのも、天然資源の乏しい日本国、まして膨大な戦費がかかる世界大戦、労働力不足と物資不足は私たち子供でもひしひしと感じていました。

「欲しがりません勝つまでは」とか「無い無いは工夫が足り無い」の標語に代表されるよう、物欲を抑制する政策が、政府から発令された時代です。

食料から衣類、生活用品まで配給制、家族構成人頭別に配給切符が必要なだけ渡され、その切符が無ければ何一つ買えない時代となっていました。

その頃の農村は貧しく、私の同級生たちの中には、つぎはぎの和服や洋服で登校していた子供も何人もいました。

ほとんどが兄弟、姉妹のお古で、破れたところを繕い、ボロボロになるまで着尽くす、家庭内リサイクルが徹底していました。

履物は下駄かわら草履、夏は素足で冬は足袋をはいて、登校に片道1里(4キロ)の道をぺたぺたと歩き、わら草履などは磨り減って履けなくなり、途中で捨て去り、はだしで家まで帰っていた子供もいました。

私は幸い兄のお古の運動靴などいくつか持っていましたので、わら草履登校の経験はありませんが、下駄履きで通ったことは記憶にあります。

いずれにしろわら草履は、大切な履物で実用雑貨で、その材料は稲わらです。

この稲わらは農村生活にとっては貴重な素材で、わら縄、むしろござ、米俵、かます、わら沓、わらじ、畳の芯、数えたらまだまだ沢山、稲わらの文化が根付いていました。

このわら利用の製品は、究極のリサイクル製品で、使えなくなれば燃料となり、その灰は肥料となっていました。

私たち子供も、学校で荒縄づくりと、それを芯にしてわら草履を実習させられました。

今の子供には想像できないでしょうが、工作の授業の一環で、農村の実用品ですぐ役に立つ、わら製品をテーマにしようと言うことだったのでしょう。

ですから今でも、縄ないとわら草履の作り方は覚えています。

最近古いボロ布を利用して、布の草履が室内履きとして作られ、趣味手芸として人気があると聞きましたが、昔はその材料が稲わらだったのです。

下駄も高下駄と言って、下駄の歯が差し込み式になっていて、磨耗して歯が磨り減ると、新しい歯だけを入れ替え、下駄の板は再度使うことの出来る、リサイクル型になっていました。

ものを大切に再利用する文化の中で、子供の頃育てられましたので、現在の何でも使い捨てる習慣と商品には、なんとなく違和感があります。

それゆえ、なにかのとき必要ではないか、直して使えば使えるなどと、捨てる作業が下手な私は、家でも会社でもゴミの中に埋まっている現状生活です。

究極の貧乏性なのかもしれませんが、何だかモッタイナイとの気持ちが働いてしまいます。

戦中戦後の物の無い時代に育った本性と言うものでしょうか。

今は使い捨て文化の横行で、なんでもゴミとなり、そのゴミまでが輸出され、輸入した国はその中から資源を取り出し、リサイクルして、産業に役立てている報道をテレビで見ましたが、私の子供の頃の日本がリサイクル上手の手本で、それの最たる実行者だったはずです。

今は当たり前のように使い捨ててる洋傘も、昔はこうもり傘と言って貴重な生活用品でした。よく骨が折れ、それを直す商売が成り立っていた時代が、なんとなく懐かしいです。

勿論その頃普段使われていた、竹と紙で出来た番傘、上等な蛇の目傘の直しも同じ傘の直し屋が行っていました。

わたしの母親は、この土地の生まれで豪快な親分肌の性格であったのでしょう、私の家が近所の農家の女たちの溜まり場だった関係で、リサイクルを行う修理屋は、たいがい私の家の庭を仕事場にして、近所に触れを出し集め、修理品を日がな一日直していた光景が今でも忘れません。

こうもり傘の直しから、鍋や釜の孔をふさぐ鋳掛や(いかけや)、瀬戸物(陶器、磁器)の割れを接着させる焼き接ぎ、下駄の歯入れ、包丁やナイフの研ぎ屋、ノコギリの目立て、石臼の目立て、靴の直し、木の樽修繕の竹材を締めなおすたが屋(箍や)、などなど。

その中でも鉄鍋の鋳掛や、瀬戸物の焼き接ぎなど、炭かコークスを真っ赤に熱し、鉱物質の接着剤を溶かす一種異様な臭気を、今でも思い出します。

中学校に入って買ってもらった万年筆が、書きにくかったり、インクが漏れたりしたら、万年筆直しが学校を巡回していて、2度ほど頼んで修理した経験もあります。

現在はほとんどボールペン使用となり、万年筆は使われず机の中で常時眠っている状態ですが、万年筆を持つことが憧れで、また中学生の必需品だった時代がありました。

いずれにしろ修理業の生計が成り立つぐらい、リサイクル需要があったことになります。

私の家はわらぶき(かやぶき)の平屋で典型的な農家造りであり、土間に続く台所に、火焚きをするへっつい(釜戸)があり、材料は石造りで大釜用と、普通の釜、鍋を置く小さなかまどの三段構えで、燃料は基本的には松葉くず(落ち葉)でした。

秋から冬になりますと、農家の主婦たちはこぞって松林に入り、枯れ落ちた松葉くずを熊手でかき集め、大きな竹篭に詰め込んで持ち帰り、燃料小屋にうず高く積み込み、これを何日も何回も繰り返します、これを「くず掻き」と言いました。

わたしも小学校高学年頃から、母親の後について小さめの竹篭を背負わされ、このくず掻きを手伝わされました。

これが一年中の煮炊きの燃料となります。

枯れた松葉は油脂分が含まれ、火力が強く引火が容易で、子供でも火燃しができたくらいです。

屋内にへっついがあることが、藁葺き屋根には大切な条件で、煙が立ち昇り天井から屋根裏にまで届くことが、乾燥と燻し(いぶし)効果をあげ、萱(かや)と藁(わら)と竹を主材で葺いた屋根を、長持ちさせるのです。

へっついの灰は当然、畑の肥料としてリサイクルされます。

同じくず掻きでも、クヌギ、樫、椎、など広葉樹の落ち葉は、堆肥の材料として掻き集め、また芋の苗倉の主要素材にもなりました。

汚い話ですが、便所の糞尿も肥溜めで寝かせ発酵し、肥料として使うことは何の抵抗もありませんでした。

これらすべて自然から頂戴したリサイクル物質で、そのおかげで山の林も下草が無く、綺麗に掃除され、間伐材は薪として重要な燃料でした。

このように自然の恵みを循環させる生活の習慣ができ、農村は貧しいながら工夫がいっぱいでした。

そこには本当の里山生活があり、リサイクル文化が溶け込んでいいました。

それは意識せずに行っていた「モッタイナイ」運動だったのでしょう。

この「モッタイナイ」の心を大事にし、地球の資源も限りがあるので、そろそろ使い捨て文化を見直すときが来たのではないでしょうか。

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