2012年3月アーカイブ

台湾、インド、タイを歴訪して(3)

   ~発展途上国返上、タイ経済の発展と活気~
    (豊富な食材でかもし出すタイ料理の美味)


数多くある入国審査のカウンター前は、どれもこれも40人50人と長い行列、遅々として進まない審査手続きに苛立った、タイ訪問の初日が始まりました。

タイのバンコク国際空港「スワンナプーム」への到着は早朝の6時30分、インドのバンガロールから4時間半ほどのフライトですが、睡眠がよく取れず、寝ぼけた頭と疲れた体で、ごった返す旅行者の渦に翻弄され、「おいおいこれはどうしたことだ?」タイの入国審査は外国人旅行者に対し不親切、こんなに時間がかかるとは大変失礼ではないか。

26年前から何十回となく訪問し、友人も多くいる親タイ派の私ですが、この早朝の喧騒と30分以上も待たされる入国手続きに、いささか怒りが沸いたほどです。

もっともこのスワンナプール国際空港は、面積では成田空港の4倍近く、空港ビルディングの広さは56万平米を越える世界一の面積を持っているアジア最大のハブ空港です。

ヨーロッパ、アフリカ、中東、南アジア、オセアニア、アメリカ西海岸、日本、韓国、中国などから、前日の午後から真夜離陸した航空機が、早朝一編に到着するスケジュールになっているので、入国審査カウンターが70以上あるといっても、大変な混雑が発生します。

これら入国者は半分が観光、半分がビジネスのための訪問と思われますが、このようにタイを訪れる外国人の数は年々増え続けています。

それと言うのもタイは、いま旬を迎えた発展著しい途上国で、観光資源を沢山持ち、バカンスにはもってこいの設備の整ったリゾート地も完備し、ましてそれが安価で過ごせる魅力がありますので、休暇をタイで過ごそうとする外国人も沢山います。

さらに産業の発展は、世界各国から外貨を集め、工場を誘致し東南アジア一番の工業製品の輸出国に変貌しようとしています。

理由のいくつかに地理上、地政学上東南アジアのほぼ中央に位置し、良質な労働力と、タイ人の優れた国産感覚、急激に整備されたインフラストラクチャー、民主主義の何にも梗塞されない自由体制、などがあげられ、外国人も住みやすい環境があります。

それゆえビジネス目的での訪問者も多く、さらにタイ在中の外国人の数も東南アジア一だと思います。

ゆえに個人的にはこの国は、すでに途上国ではなく、立派な経済大国と思いたくなるような、全てに活気がみなぎっている今日この頃です。

一昔前のタイは農業国で、輸出製品も農業産品が多かったが、現在は輸出の90%が工業製品に取って代わっています。

産業構造はいまだ農業が40%、製造業は15%ですが、GDPに占める位置は、農業12%、製造業35%と逆転しています。1人あたりのGDPは5000USドルを越えています。

しかし、この国は政治的な混乱がここ何十年となく続き、発展のブレーキになっていることも、皆さんよくご存知でしょう。

いま国外にいる元首相タクシン派と、反タクシン派との間で、赤シャツと黄色シャツに別れ、国を二分する政治闘争が1昨年まで続いていたことを皆さんがよく知っていると思いますが、あのような闘争がなかったらもっと充実した、国家となっていたでしょう。

もう一つ、昨年夏から秋にかけて発生した、チャオプラヤー川の氾濫による洪水がなかったら、昨年の経済はもっと発展していたでしょう。

しかしあのような天災がありながら7.8%の成長率を上げる底力がタイにはあります。

ご存知のよう、日本企業のタイ進出は1300社を超える数で、昨年の洪水につかり被害を出した工業団地の企業は、ほとんど日本から投資移転した企業の工場でした。

その被害にもめげず、タイ産の日本ブランド商品はアジア諸国はもとより、本家の日本へ逆輸出されている事実は、タイの労働者の質の高さと生産性の素晴らしさを証明する事になります。

私とタイ国との付き合いは足掛けで27年になります。

タイ産の鶏肉と焼き鳥を生産し、日本に輸出する仕事のお手伝いをすることからスタートしました。

それから70回ぐらい、韓国、台湾に次いで数多く訪問してる国で、知己友人も多くいますし、タイの皆さんのやさしさ、タイの食事の美味しさ、タイのホテルの快適さ、全て気に入っています。

さらに加えれば、ものすごい暑さと、交通の渋滞とガソリン臭さがなければ、もっと好きになれるでしょう。

ことにタイ料理は中華風な雰囲気を持ち、程よい辛さとスパイシーな風味、新鮮な海産物が私の好みに合います。

その食事を楽しみに、レストランを選び、ホテルを選定しています。

私の最近の定宿は、ラチャダーピセーク(Rathadapisek)通りにある、エメラルドホテルです。

以前は日本人に馴染みの繁華街タニヤ、パッポンがあるスリオン通りの或るホテルでしたが、交通渋滞で時間が無駄になる理由で、15年前ほどから昔の国際空港ドンハンに近く、交通の便利性も考えラチャダー通りに変えました。

このホテルはなかなか便利で地下鉄駅が目の前だし、近くにロビンソンデパートがあり、まして気に入ってるのは、周囲にいくつもの美味しいレストランがあることです。

今回もその一つ、カニ料理で有名な「ソンブーンシーフードレストラン」に当地の代理店の社員2名と、わが社4名の合計6名で夕食を食べに行きました。

この店の本店はサイアムスケアー近くで、各界の有名人が訪問する名店で、日本人としてはタイ王室と関係の深い秋篠宮や、小泉元首相などが訪れたこともあるのが自慢のようです。

私たちが食事したのはその支店ですが、4階建てのビルに客席400を超える大きなレストランですが、この日も超満員の盛況でした。

それだけ食い物の味にうるさいタイ人の舌を魅了させる、秘伝の味がこの店の料理にあると思ってもいいでしょう。

私はすでにこの店には何度となく通っていますので、どんな料理が私の舌に合うか、また同伴する日本人には何を注文したらよいか、大体経験的に分かります。

なんと言ってもこの店の代表的料理は、ストーンクラブ(石蟹)のカレー味の卵がふんわりかかった炒め料理で、名前をブンバッポンカリーといいます。

人数により大振りのカニを、2匹、3匹と使い、食べやすいサイズにカットし、カレー炒めの後卵をかけた料理ですが、その味の微妙な風合いは、多くの日本人の舌には合います。

さらにそれを上回る味と思えるのが、20センチ以上もあろうかと思われる大型のシャコのガーリックフライです。

ニンニクとナンプラーの味がマッチし、大型のシャコの味を一段と引き立てさせます。

日本ではなかなか味わえない醍醐味です。

同伴しているわが社のスタッフたちも、異口同音にその味には感嘆します。

そのほか白身魚の蒸し物、タロイモの裏ごし団子のフライ、空芯菜の炒め物、白エビのボイル、そして最後にデザートとしてマンゴーとココナッツミルクで炊いたもち米のカオニャオマムアンとなります。

このマンゴーのデザートはことに日本人の好むところで、最高級のマンゴーの芳醇な香りと甘さ、ココナツ風味の甘味なもち米の歯ごたえは、まさに南国エスニックの味となります。

そのほかスープとあと一品、タイ米のサービスがつき、ビールを6本ほど加えて、6名で約4000バーツを少し越える値段、日本円で1万2千円ほどの安さ、ちなみにカニカレー炒めが一番高くて2500円ぐらいです。

翌日代理店の社長に招待されたタイ料理レストランでは、仔豚の丸焼きが出ましたが、おそらく日本円で3000円ぐらいでしょう。

タイには中華料理の店も多く、北京ダックを食べさせる店、フカヒレ専門店などなかなかの味を演出する店がありますが、日本のようには高くなく、北京ダックで1羽2000円から3000円で充分です。

ところで私の年齢になりますと、こんな料理を毎日食べていたら病気になります。

「昼は簡単なものにしよう」そんな要望に同伴者も付き合ってもらって、タイ名物の屋台などでどんぶり1杯の麺類ですごすことがあります。

今回も、となりのスーパーマーケットのコンコートにある、いくつも出展している店内屋台的な店で、米の粉でできた麺のセンミー、センレック、コイテオなど、丁度かけうどんのようなスープ麺として食べて、体の調整をします。

1杯日本円で130円ぐらいの安い食事ですが、このスープの味は捨てたものではありません。魚介類で摂ったスープにナンプラーと唐辛子の味が、妙にマッチし美味しさをかもします。

こんなことを書いていると、タイに食事のために訪問したように見えますが、いやいやしっかりとビジネス相手と、宿泊しているホテルで何回か会談をしています。

そして先方と真剣に討議した内容は、農作物、鶏肉、養殖エビなど日本に輸出している食品の安全を確保するために、私どもの薬に変わる畜産の生菌剤と、農産物への有機フミンの使用を進めました。

その後、帰国した我々に対し、タイサイドから新しい動きが起りそうな気配なので、タイ産の輸入食料品の安全性が一つずつ改善されることを期待しています。


台湾、インド、タイを歴訪して(2)

  ~発展途上の国インドは農業大国~
   (日本と日本人に寄せる、親愛の情)


「昨年の災害から約1年たちますね、復興状態はいかがですか?」

インド南部の都市バンガロール郊外の、閑静な高級住宅地に新築された私どもの取引先の経営者のシド サリール(Syed Saleel)さんの豪邸に招待され、その両親、兄弟、子供たちから大歓迎されたときに、誰言うともなく東日本大震災の被害と、その後の様子について心配しての言葉を多く聞かされました。

「ご心配ありがとうございます。残念ながら復興はいまだ完全ではありません。地震と津波で家を失った人たちは、仮設住宅住まいか、ほかの土地で生活しています」

インド人の全てではないでしょうが、日本の3.11の被害の大きさを心配し、また日本人に対する親近感が高いので、その言葉も真心がこもります。

それゆえに、日本の震災に対する哀悼の意味も、社交辞令的なものではなく、心から発したもので、私たち日本人としてはその心遣いに感謝の気持ちで答えるしかありません。

昨年9月、バンガロール市内のホテルで開いた、私どもの商品の説明会と、インドO.L社との間で取り交わされた契約の発表会の席上でも、招待された各界の代表者や、大学の教授陣、代理店の社長、新聞記者たち全てが、日本の大災害とそのとき犠牲になった人々へ、思いをはせて全員で1分間の黙祷をささげていただいたのを思い出します。

「日本の経済はどうですか?、災害での影響は?」

O.L社の社長のアンザール(Anzar)氏が聞きます。

彼はまだ40歳を少し越えた精力的に活動する青年実業家で、招待していただいた40代後半のサリールさんとはいとこの関係、両親同士が兄弟と姉妹といいますから、いとこと言うより兄弟みたいなものです。

「災害の影響はあります。ことに原子力発電所の崩壊による放射能の被害は深刻です」

「そうですね、私たちも報道で知っています、核は問題を起こしたときが怖いですね」

「インドの原子力発電はどうなっていますか」

「一番は火力、石炭とオイル、水力、原子力はまだ数パーセントです」

との答えですが、インド政府はこれからの電力供給を、原子力に頼る計画があり、聞くところによりますと20基ほど設置する予定のようです。

しかし彼らは、その経緯には触れず、火力発電が主力といいます。

インドの暑い陽射しと降雨量の少なさ、国土の広さと遊休地の多さから、太陽光発電など格好の自然エネルギー供給国になれると思いますので、問いだ出しますと。

「太陽光は分からないが、風力発電の計画はあります」との答えもありました。

インド経済の発展には電力の供給は欠かせない条件だけに、私たちも関心のあるところです。

そんな会話が夕食会をはさんで続きます。

インドと言うとカレーの国とのイメージがありますが、家庭料理の夕食会での品々には、カレーのようなスパイシーな料理は一つで、小麦粉のクレープに似たチャバティーにつけて食べる味は、その家の独特なスパイス配合が妙味なのでしょう、また違った風味を感じます。

蒸し焼きのタンドリーチキン、スパイスの効いたサラダ、魚のすり身のフライ、香辛料の効いたフライドライス、ヤギ肉を使ったスパイシーなスープ、炒めた野菜などなど、大きなテーブルいっぱいに並べられたインド料理に感激しながら、異国の味覚を堪能しました。

サリーヌさん一家の心温まる歓迎に感謝です。

この会社はそもそもインドハーブと植物性機能食品の原料開発製造販売が主力で、当然日本も大きな顧客の一つです。

どうも言葉を濁した内緒話ですが、日本の大手健康食品会社の機能性植物製品のいくつかは当社製のようです。

もっとも製品の確かさと、有効成分の多さ、無農薬など間違いのない原料であることが重要です。

私どもはこの中の無農薬ハーブ生産に寄与しています。

というのも有機農産物に最も効果的な、天然のフミン酸と液体のフルボ酸をこの会社に紹介し、無農薬はもとより無化学肥料のハーブ生産にお手伝いしている関係です。

この天然のフミン、フルボの電解質有機酸は、インドの赤茶けた大地に非常にマッチし、完全無農薬と減肥料で、収穫量が格段に上昇したので喜ばれました。

日本の国土の8倍の広さがあり、耕地面積はそれを上回り世界一ですし、主要穀物の米、麦、野菜果樹は世界2位、大豆、菜種などの植物油原料作物も世界2位の生産量です。

大豆を含め豆類総合では世界1ともなります。

しかし残念なことに、これら作物生産に農薬と化学肥料はつき物で、そこにインド産農作物の輸入を躊躇する国々が多くなる理由があります。

もし天然フミン物質がこれら作物から農薬を減らすことができたら、インド農業にとって福音です。

私どももインドの発展に寄与できたらすばらしいとも思いすし、その成果がインド国民の生活向上にまで波及すればもっと感激です。

さて今回バンガロールに訪問の私たちの目的は、当地で開催された畜産の展示会への出展によるものです。

市内を外れた展示場は、インドの畜産業者、関係者はもとより、近隣の国々からの来場で賑わいましたが、アメリカ、ヨーロッパ、あるいはタイのバンコクなどで開催される展示会と比較して、来場者の数は少なく畜産関係者の関心が低いのかと感じました。

しかしながら統計的には牛の飼育頭数は世界一ですし、牛乳の消費量も世界一です。

食料用のヤギ、ヒツジの数も多く、最近は鶏肉生産も急速に増加しており、私どものブースへお見えになった、バンガロール近くのブロイラーインテグレーター(食鳥統合生産会社)の一つは、年間約5億羽の生産をしていました。

もっともインド一番の生産量ですが、日本全体で年間6.5億羽の生産量に近い数量を、一社で生産してることになり、その他の生産会社全部の数量を換算したら、おそらく20~30億羽を越えるでしょう。

宗教上養豚産業はほとんどないのではないかと思われましたが、国全体で年間1700万頭の生産があると聞かされて驚きました。

全国レベルで見ますと、少ない畜産動物の数ではありませんが、入場者の数は3日間で8000人と主催者の発表は、決して多くはありません。

もっとも面積の広いインドのこと、南部の都市バンガロールでの開催には、距離的に参加できない関係者も多いでしょうし、牛が多いといっても、広い意味で農家で飼育されている水牛なども含まれますので、産業としての企業組織的発展度は、日本とは違うかもしれません。

ただし世界2位の人口を持ち、年率8%の成長を続けるインドですし、自給飼料も豊富な現在、畜産生産物の優位性は日本の比ではありません。

将来的に畜産、養鶏の生産は飛躍的の伸びるでしょう。

私どものパートナーO.L社も、新しく畜産部門を立ち上げ、私たち日本からの技術と製品を、インド市場に積極的に紹介する予定です。

やがて、ブロイラー肉、鶏卵、豚肉の輸出国になることも考えられ、ことに鶏肉は近くの中東諸国は需要の多い消費地で、インドの地理的優位さは魅力です。

展示会二日目に会場を視察したバンガロール市長とも握手し、日本から唯一の出展者であるわが社の存在を認識してもらい、インドの畜産発展に尽力している姿を見てもらいました。

このバンガロールと言う市は、500万を超えるインド第三の人口を持つ大都市ですが、市内の道路など交通網は不備で、建設中の高速道路、あるいは地下鉄の工事もなかなか進捗しない状態で、工事現場から出る埃で街中塵埃の中に埋まる感じです。

これらの交通網の建設には日本のODA(Offical Development Assistance 政府開発援助)の資金援助と借款がなされ、バンガロールの地下鉄建設にも複数年にわたり650億円以上の日本からの援助がなされているはずです。

ただそれだけではなく、電力供給配電システム、上下水道整備などはすでに400億近い額が貸し付けられていますし、インド全体では円借款で3兆円を越え、無償援助、技術援助などで数百億円と、インドへ対する日本政府の思い入れは強いです。

だだし多くのインド人はそんな事実は知りませんし、まして日本人はさらに関心がなく知らないでしょう。

しかし日本の国際援助は世界の発展途上国には、大いに役立っているのですが、現地国民にアピールする方法が下手なため、目立ちません。

ODAの資金も我々の税金、もっと使った成果を強調してもらってもいいでしょうし、そんな地道な活動が、世界の国々との友好の架け橋にもなります。

民間の私たちの小さな国際交流より、大きな金が動く国際借款に対する日本国の力量のほうが目立つはずです。

しかし本当の心のこもった国民との交流と親善は、私たちのような仕事を通じてでも、小さいながら親密さが出るかもしれません。

5泊6日のインドでの仕事を終え、真夜中12時発のタイ航空でバンコクに向かいました。

次回はタイについて。

台湾、インド、タイを歴訪して

   ~経済発展の著しい国々の表と裏~
   (親日家が多い台湾の人たちの複雑な過去と現在)


2月の中旬以降、約15日間にわたり台湾、インド、タイと連続して訪問しました。

訪問したそれぞれの国と私たちは、仕事上のお付き合いがあり、それぞれの国でそれなりの成果を上げてきた過去があります。

仕事上の話は別にして、これら訪問した国々は、アジアの中でも経済的に発展が著しく、あるいは今後発展が予測される国々ですので、国情の違い、歴史の違い、民族性の違い、習慣の違いなど、事情の違う経済発展の過程を知らされながら、私自身それぞれの国から学ぶことも多かった旅でした。

いまアジアの時代とよく言われます。

世界人口の二分の一を占め、近い将来経済の主導権もアジアが握るだろうと推測されている中で、台湾、インド、タイそれぞれも経済的な伸びはすこぶる好調で、台湾の10.8%を先頭に、インドの8.6%、タイの7.8%と対前年比では、順調にまた安定した伸張率を示しています。

経済的に伸びが止まってしまった日本の2%にも届かない経済成長率や、アメリカの2.5%と比較しても、時代は次第に新興国にまたアジアの国々に変わりつつあることも感じます。


「台湾と台湾人の考え」

ことに台湾は、中国との間で歴史的にも政治的にも複雑な諸問題を抱えながら、国民の努力とたぐい希な経済感覚と優秀な頭脳で、国民一人当たりのGDP所得は$18558(2010年)と中国大陸一人当たりのGDPと比較して約10倍の違いとなり、いまや経済的に豊かな先進国の仲間となっています。

私の初めての台湾訪問はいまから43年前、37歳のときでした。

1970年代の台湾は「大陸反攻」とか「打倒共産主義」などのスローガンが、街中いたるところに散見され、戦時下の緊張感すら感じるほどでした。

その後、私と台湾の関係は、畜産の業務を通じ、また技術交流を通して、さらに有機畜産に必要な生菌剤の開発など、数え切れない訪問を行い、おかげで沢山の知己友人ができたことが私の財産となっています。

今回もそんな古い知り合いに30年ぶりに面会したり、気心の知れた同世代と、お互い昔話に花が咲かすことができました。

それと言うのも66年前まで日本との深い関係があり、幸いにも日本人と日本語に理解をもっている人々が、沢山いらっしゃるので交流が生まれたのでしょう。

さらに、初めての訪問から43年たって、その頃の国家管理社会が嘘のように、実質的には独立した民主主義の自由な国家となり、国民一人一人が自由で拘束されない思想と意見と、それを行動に表すことができる、豊かな国に変貌したこともあげられます。

しかし今日の自由な意見交換ができるまでには、台湾は台湾の人々は、厳しく悲しい現実と絶えず対峙した過去があります。

1945年日本の敗戦により、日本は台湾の統治権を放棄し、代わりに中華民国国民党の支配するところとなりましたが、それに異を唱え、台湾を独立国にしたいと願った多くの台湾生まれの人の思いは、新支配者の武力的弾圧で、多くの犠牲を伴って潰え去りました、その時の無念さを心に抱き、独立の思いを持ち続ける人は、現在まで沢山いるようです。

さらにその後、中国大陸との間で政治的、軍事的な軋轢の中、1971年共産中国が国連に加盟、自動的に台湾は国連を脱退し、中国と言う国の主権は大陸へと変わりました。

その以前以後を通し、約半世紀以上に亘って独立はおろか、台湾の国際的立場は、揺れに揺れてきた歴史的事実があります。

中国大陸の中華人民共和国との間で争う台湾の中華民国は、台湾国土と台湾在住民すべてを、政治的に軍事的に統括し、ある時期厳しい戒厳令状態の国家統制が行われ、自由な発言も行動も制限されました、台湾生まれの人々の意識の中に、その頃の古傷が黒い渦となって、今でも心の隅に残っているのも確かです。

2012年1月15日に、台湾の政治主権を決める総統選挙が行われ、国民党の馬英九代表が大統領に選ばれました。

この国民党は1947年大陸から逃走してきた、蒋介石総統が率いた中華民国が出発点の政党で、中核をなしている党員は、そのとき本国から蒋介石主席と行動をともにした人々かその子孫です。

もっとも中国は中華民国が正統だとする人々も台湾の中に多く、その意識化でグループが作られて一つの政治勢力になっているようで、そのグループを藍連盟(ブルー)といい、その逆に台湾は独自性を持った国家相当の地域で自由地区だという緑連盟(グリーン)とに大きく分かれています。

これら全ては、中華人民共和国(大陸中国)を意識する、台湾の位置づけに対する見解の相違から出ています。

さらに話を進めれば国民一人一人のアイデンティティー(Identity)の問題になります。

私の勝手な解釈ですが、ブルーの人は中華民国人としての意識で、グリーンの人は台湾人という認識となります。

この考え方の根底はかなり複雑で、考え方の相違がありますが、どちらも共通している思いは、共産社会主義は大嫌いだということと、再度大陸に反攻して、中華民国を再興できるとは思っていないことです。

ご存知のよう現在の中国大陸との関係は、まず経済が先行し、たくさんの資本と技術が海を渡って、中国大陸の経済発展に寄与していますし、大陸からの観光客も大挙して台湾に押し寄せています。

私が初めて訪問した頃の緊張はすっかり様変わりしていますし、政治的にも対立から融和へ舵が切られのではないかと見られますが、台湾人の本根は今でも独立を望みながらも、台湾の独自性と民主的な思想を堅持し、現状の両国関係を維持することが賢明としているようです。

多くの台湾人が現状の状態が続くことが、もっとも平和的で摩擦がなく安全と見ている気持ちが強く、その結果が現状維持を訴えた国民党の馬英九が再選されたのではないかと思います。

しかし時代は変わり、世界情勢も刻々と変わります。

台湾と中国の関係もどう変化していくか誰にもわかりません。

ただ現在台湾の人が持っている気持ちはそんな悠長なことではなく、今日の安泰が明日の緊張に変わる事もある心配です。

その心も私は私なりに理解しています。

ただし台湾には大きく分かれる二つの流れがあります。

それは、第二次大戦以前から居住していた台湾育ち(内省人)と、戦後大陸から逃れてきた中国生まれ(外省人)の系統です。

この人たちの心の中の台湾国土に対する郷愁と思い入れは、また異なるかもしれません。

台湾の人には二重国籍や、外国の永住権(グリーンカード)を持つ人がかなりいます。

さらに政治的支配の強かった時代に自由を求めて他国へ移民した方も多くいます。

その背景は、ご存知のよう大陸中国との角逐の危険を感じたからでしょうし、また閉塞的な台湾を離れ、自由社会でのびのび生活したい欲望からかもしれません。

生まれた土地に対する愛着、故郷へ対する郷愁は、人間の本性の中にあります。

他国に移住しても生まれ故郷は恋しいものです。

そんな生まれ故郷を捨てなくてはならなかった、その昔の台湾の人の悲哀が少し見えます。

国籍とか市民権とかは、人間が生きていくうえで現在の国際条件の中では重要です。

世界は一つ人類はみな兄弟と言っても、国と国との間にはいろいろな利害得失があり、ルールもあります。

台湾の友人や知り合いに、「海外旅行のとき、国籍は何と書きますか」の質問に「TAIWAN」と書きますとの答えが圧倒的に多いです。

それと言うのも中華民国(ROC)と記述しても、認められず入国できませんので「TAIWAN」とか「CHINA TAIPEI」と書きます。

というのも中華民国と言う国との国交がなく、中華人民共和国の手前、中国は一つの国の前提でROCは認められないが「タイワン」と言う地域の人は認める、そんな便宜を国際社会は図っていることになります。

国際的にはオリンピック参加など「Chinese Taipei(チャイニーズタイペイ)」とか「Taipei China(タイペイチャイナ)」と表記するのが通例のようですが、「Taiwan」と書いても問題ないところに、国際社会は暗黙のうちに、台湾の存在を一つの独立した自治区、あるいは国家同等の資格と認めていることになります。

もっとも台湾の人の中には「TAIWAN」と積極的に書くことにより、自分たちの置かれているあいまいな国家意識を、強く認識確認している人もいるようです。

この台湾ですが私たち日本人にとってはうれしい国です。

それと言うのも親日家が多く、日本と日本人をよく理解してくれる人が多いからです。

NHKの海外放送、BS放送の視聴者も多く、有線テレビでは日本の民間放送の台湾版がよく放送されますし、日本のアニメや漫画の台湾版は子供たちを喜ばせ、街中にあるカラオケ店やスナックのカラオケには、たくさんの日本歌謡が用意され、またその歌を巧みに唄う台湾の方が実に多いです。

前述したよう66年前まで台湾の人は日本国民として、日本語は国語であった過去もありますが、中華民国に編入された初期、日本語の使用禁止で厳しく取締りが敢行されたことが、嘘のように現在は日本語が氾濫します。

それはとりもなおさず、その昔日本語で生活した人たちが老人となったがいまだ健在で、その子供や孫までが、なにかの機会に日本語に接してきた家庭生活があり、日本に対する親しさを覚えてる人が多いことも感じます。

古い友人の一人、台湾を代表する養鶏農場の社長は「日本から私たちは学ぶことが多くあるし、世界の中では代表的な先進国で、信用できる国だ」と信頼を寄せてくれます。

さらに「私の子供、そして孫、全て日本に留学させました。日本人の考え方、習慣、教養、文化、言語を学ぶことは、将来きっと役立ちます」日本人としては身の引き締まる言葉です。

昨年3月11日の大災害に対する、200億円に近い義援金の多さを見ても、台湾国民の日本と日本人に対する思いやりの強さを感じます。

私が今回面会した養鶏関係者も「私たちのグループも義援金募集の先頭に立って努力しました」との言葉には、いまさらながら頭の下がる思いです。

まして農村地帯の田舎でそれほど豊かでない地方の方の中にも、日本人の苦境を救おうと言う気持ちを持つのは、日本に対する感情の温かさと思い入れがなければできないことです。

改めて感謝の気持ちいっぱいです。

そんな台湾との関係は、今以上それ以上親密にしていく気持ちですし、日本人一人一人が台湾の置かれている実情を理解し、この国の人々とより一層の友好関係を構築したいものです。

次回は新興国の代表インドについて触れましょう。

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